お菓子日記

28歳、上京して10年経った話。

年始からずっと書こうと思っていた内容をやっと投稿しようと思えたので更新します。
3月20日に更新する予定が夏になり秋になり冬がきてしまいました。
春先には書き終えていたのになんてことでしょう。
もう、今年が終わってしまいます。

お蔵入りさせるか迷いましたがどうしても更新したいのでこのタイミングで投稿します。(10年後とかにみたらきっと更新のタイミングなんて関係ないかなと割り切りました。誕生日のブログもまた更新します。)

※2021年3月20頃に書いた記事になります。

東日本大震災の10日後、私は泣きながら仙台を出発しました。

あれからおおよそ10年が経ちました。18歳で高校を卒業したばかりの私が、28歳のいわゆるアラサー世代真っ只中なんだから感慨深いです。

10年を振り返ってみると、本当にあっという間です。
特にこの3年間は光の速さで進んだように感じます。それは何故かと考えると、夢中になって過ごしているからだろうと思います。

ここに来るまで、決して楽しいことばかりじゃなかったけど、今は苦しかったことも含めて自分の人生まるっと受け入れています。全てのことに意味があったんだと思うんです。

私は仙台からわざわざ上京した訳なのですが、まず一番に思うことは両親への感謝です。
正直に言って、社会に出て働くまでお金を稼ぐことの大変さを分かっていませんでした。高校生でアルバイトはしましたが、フルタイムで働いて自分の時間を割いて色んなことを我慢してお金をもらうことがどんなにすごいことなのか。

やりたい!と言えば、じゃあ頑張ってみるようにと送り出してくれる家庭に生まれたことが、まず私の人生の幸運でした。

自分の力で頑張りました、なんて到底言えません。お父さんとお母さんがお金を出して勉強させてくれて、住む場所の家賃も光熱費も全部払ってくれました。

学生時代にバイトしようかな?と思ったときがあるのですが、学生は勉強することが一番だからバイトで本末転倒になっちゃいけないということを言われたのを覚えています。だから学校のお手伝いのバイトくらいしかやりませんでした。

その代わり、ちゃんと学校に行って勉強して、自分の時間を大切にできました。お金と時間を浪費するのではなく、自分自身と向き合うような過ごし方を選択できたことに本当に感謝をしています。

大人になるまで安心できる環境で育ててくださりありがとうございますと、本当に心から思っています。自慢の両親です。

さて、私は専門学校に通っていたので卒業は20歳です。それからは念願の食品メーカーの洋菓子部で働くことになりました。

誰でも知っている商品があり、テレビではCMが流れ、コンビニやスーパーに行けばすぐに買えるような商品を作っている会社に勤めました。
退職しましたが、私にとってこの会社に新卒で入ったことは人生の財産だったと思っています。
具体的に何がと例をあげると、何も分からなかった私にそもそもの社会人としての在り方や仕事とはなんなのかを教えていただいた場所だからです。

未だに連絡を取り合ったり、イベントに顔をだしてくれる先輩や、頑張ったことを報告できる上司がいます。
私は『シュガークラフトをもっと頑張りたいから退職します』と言って退社したので、何がなんでも頑張るぞ!と自分の心に決意表明をしました。

その時に背中を押して送り出してくれた方々に恥ずかしくないように活動しようという気持ちは、今でも心の支えです。

具体的に退職しようと考えたのは、21歳の頃です。1年ちょっと働いて自分が本当は何をしたいのかをずっと考えていました。
日々の業務はそれなりに大変でも、恵まれた環境であること、安定していることなどを考えるととても良い会社だったのですが、私にはどうしても夢があったのです。

ものすごい葛藤がある中、上司に切り出しました。
心臓がバクバクして自分が何を言ってるんだろうと思いながらも、自分の意思を明確にハッキリ伝えるために勇気を出しました。

長いこと役職について色んなことがあったであろう上司は私が想像していたより遥かに寛大で、一番にまず私の生活の心配をしてくれました。やりたいことをやるのは良いけど、それだけじゃ食べていけないよという趣旨の話だったと思います。

休みや勤務時間も考慮するから、まずは働きながらそのやりたいことをやってみたら良いんじゃないかという提案で、私は応援してもらいながらやりたいことを頑張ることに決めました。

22歳から23歳になる年、メーカーに勤めながらとても頑張った半年間がありました。絶対に必要になると思っていたデザイン関連の勉強をしながら、シュガーの教室に通い出したことです。(こちらのブログにちょっと書いています。)

誰にも相談しないで全くのアウェイの学校に見学に行ってお金を払ってから、家族に報告をしました。きっと、みんなどうしたの急に!?と思ったんだろうなと思うし、心配していたと思います。

しかし、私は本能で絶対にやった方が良いことだと感じていたのでこれは出来なくてもめげないで頑張ると決意して、ずっと貯めていたボーナスで学費と新しいパソコンとシュガーの教室の代金をバーンと払ったのでした。

人生で一度にこんなに高額なお金を使うことは初めてだったので、ものすごくドキドキしたのを覚えています。

そこで出会った先生が、本当にかっこいい大人で今でも私のことを見守ってくれていて、嬉しいことを報告しに行くと喜んでくれて、また背中を押してくれる大切な恩師です。

人間、行動すると人生が変わっていくんだなと本当に思います。どんな環境に身を置くかで、日常が変わっていくのです。

そんなこんなで、改めて自分のやりたいことに挑戦したいと思った私は人生で初めてレールから外れることを決めるのです。5、6年前なんて今ほど転職が盛んではなかったし、ましてや前向きなことではありませんでした。

ネットで転職という検索をかけると、新卒カードが何よりも大切、初めて勤める会社が一番良くてあとは下り坂、結局どこ行ってもダメ、などなど割と心に突き刺さる記事がたくさんありました。

当然、周りの人にも転職した人なんていなかったし、そもそも友達は大学生で就活するぞってときで、転職なんてそんな良い会社勤めてて大丈夫か!?状態だったから相談できる人もいませんでした。

そりゃあ、自分が経験していないことのアドバイスなんてできませんし、安定した大手の食品メーカーを辞めてまで何をしたいのって思うだろうし、その思考は正常だと思います。

そんなことは自分では重々理解した上で、やっぱりもっとやりたいことをやれる環境にしたいと思ったんですよね。

今でも覚えているのですが、高田馬場の家でお姉ちゃんに号泣しながら『かわいいお菓子を作りたいのぉぉ!!!』と言ったんですよ。お姉ちゃん覚えてるかな?笑

みんな心配する中、お姉ちゃんだけはたぶん私の頭の中のことを色々わかってくれていて(いつも具体的にどんなもの作りたいかとか話していたので)、なながやりたいなら良いと思うと言ってくれました。

お姉ちゃんは美術をやっている人間なので、きっと作ることへの理解とか、未来がどうであれ続けることの大切さとかも知っています。
そして『会社に勤めて働く』という選択肢以外の生き方を知っている数少ない人だったので背中を押してくれたのかなと思います。

さて、振り返ってみると私は小さい頃から比較的真面目な方でした。いわゆる一般的にこうあるべきと言われるであろう生き方に沿っていました。
先生の言うことを聞き、やんちゃもせず、用意された型にはまりその中でできる範囲のことをしていました。

今思えば、無理矢理自分を押し込んでいたんだなぁと思います。自分からはまりに行っているのに結局は出たくて出たくて仕方なかったんでしょうね。
学生時代はとても苦しくて一生懸命その中でやって行こうとしていました。早く大人になりたくて、学校から出たくて仕方ありませんでした。

昔はなるべく人に良く見られていたいと言う意識があって、ネームバリューだったりきちんとしていることを気にしていました。そうやって自分で作り上げた『ちゃんとしてる人間スーツ』を着て生きていましたが、中に入っている私が苦しいよ苦しいよと言う状況が続いて、どうしたら苦しくなくなるのか考えました。

私にはちゃんとやりたいことがあったのです。
『かわいくておいしいお菓子を作りたい』という夢がずっと心にありました。でもそれは、そのときの会社に勤めながらじゃどうしても難しいと思ったので、やっぱりやめて頑張ろうと決めたのです。

人生で初めて、逃げでも見栄でもなく、自分の本当にやりたい選択をしたときだったと思います。
自分で頑張って掴んだものを、不確定なものだけどやりたいことのために手放すということは本当に怖かったです。
でも、そのときの私の勇気が糧になったと思っています。

そこから私はトライ&エラーを繰り返すという期間に入ります。
手探りで、どうしたら良いのか分からなくて、でもやりたい気持ちだけ一丁前で。
ただ、そのときには『どうみられるか』よりも『どうしたいか』で行動するようになっていました。

東京に来て、私は新宿の街によくいるようになったのですが、こんなに人がいっぱいいても、誰も自分のことなんか気にしてないんだな。好きに生きよう。人混みを歩きながらそう思うことが増えたのも行動に移せたことの一つの要素です。

私はとても狭い世界に生きていて、どうにかそれを広げたくて仕方なかったです。
誰も広げてくれる人なんていないから自分が行動することでしか世界は広げられませんでした。

そうやって四苦八苦しながら、夢を心に留めて2年程過ぎたころ、トライしてエラーしてエラーしてエラーして機能停止になりました。

人間、合わない環境に身を置くことほど苦しいことはないのではないかと思います。
詳しいことは過去のブログに書いてありますが、私は鬱になって人生に絶望しました。

もう頑張れないと思ったし、自分は無価値だと思ったし、正常な判断もできなくなるので、病気って怖いなと思いました。

私は心が死んでしまいました。
何もできませんでした。
普通にしておけば良かったと何回も思いました。
夢なんて追わなければ良かったと思いました。

やりたいことを頑張るって言って失敗して働けなくなって、本当に恥ずかしいと思いました。
ほら見ろって指刺されるかなとか、あんなにやりたいって言ってて結局ダメじゃんとか思われるのかなとか、本当に生きてて恥ずかしくて消えたくて恥ずかしいと思いました。
25歳のときでした。

26歳になる頃、私の大好きな仙台の幼馴染が東京に会いにきてくれました。
私が作ったシュガークラフトをみて目を輝かせて『えぇ!!本当にかわいい!部屋に飾りたい!!』と言ってくれて涙が出ました。

本当に嬉しくて、一度心の中にしまった私の夢をたくさん話しました。
バカにしないで聞いてくれました。
むしろ、ななこならできるよ!!!欲しいもん!!!やれるよ!!!とキラキラした顔で言ってくれました。

本当に心が救われました。一生忘れない日です。

もう無理かもと思っていたけど、私を救ってくれたのは紛れもなくお菓子の存在です。
私にはお菓子が大好きだという気持ちが残っていました。むしろそれしか持っていなかったんです。
もうどこかで働くのは無理だから、自分でやってみようと思いました。

大丈夫かな?やっぱり無理かな?と思っていたけど、やるしかないし、もしダメでも私には失うものもう何もないからやってみようと思いました。

とても悲しい気持ちになったけど、今となってあの頃の期間は自分のストッパーを外すための神様からの強制リセットボタンを押されたんだと思っているので、その期間も必要な出来事だったんだなと受け止めています。

2018年の夏の終わり、実家にひっそり帰ったときにやりたいこと頑張ってみたいと話したときにお父さんが、やりたいことをやるときには『覚悟を決めればできる』と教えてくれました。
そして『名刺を作るといいよ』とアドバイスをくれました。そして、どこに行っても挨拶をしてこんなことができますと話すといいよ、と助言してくれました。

そこから、私はシュガークラフト作家、スイーツデコレーターとして働くぞ!と覚悟を決めて、名刺を作りました。
お姉ちゃんが手伝ってくれて、本当に素敵な名刺が出来上がって私の宝物になりました。
今でも名刺をお渡ししたときに、これお菓子なんですか!?や、かわいい!!と言っていただけると本当に嬉しくて、何かお役に立てるときがあるといいなぁとご縁を大切にしたいなと思うのです。

私は何も持っていなくてゼロからのスタートでしたが、現在Sucreのマネージャーをしてくれている仕事のパートナーがメンターになってくれていて一緒に一つずつやってきました。

私は、人を信頼して頼るということを覚えました。
自分にはできないことがたくさんあります。
頑張ってできること、得意なこと、できなくてもできるようになると今後役に立つことは自分で頑張るようにしています。
頑張ってもどうしてもできないこと、苦手で自分がすり減ること、自分より他の人がやった方がクオリティーが高いことは、無理しないで人に頼るようにしています。

そしたら、私にできることがたくさん増えました。
手放す代わりに別なものを取得していきました。
がむしゃらに必死に、でも夢中になって2年が過ぎて現在3年目になりました。

そうやって気付いたら上京してきて10年経ちました。
本当にいろいろありました。
上京するとき、夢を叶えるまで絶対に帰らないぞ!!!と思っていたので時間はかかったけど目標を達成できたことができて嬉しいです。

一つ叶えると、また新しい目標や夢が生まれていくのですが、10年の節目を迎えてまた大きな新しい夢もできたのでこれからもずっと夢を追っていく人生にしたいです。

東京で頑張った10年間、どの出来事が欠けても今の自分はいないんだなと思うと良いときも苦しかったときも全部まるっと自分の人生を愛そうと思います。

この10年という節目のタイミングで、自分の厨房を持てることになったのも本当に奇跡のようで私はとても嬉しいです!!
辞めなくて良かったと思ったし、やりたいことを口に出し続けて良かったと本当に思います。
色々もがきながらも、チャンスをチャンスとちゃんと思えるようになったこと、それを掴みに行ける勇気を持てたことは本当に成長したと思ったし、私は変われたと思います。

今でこそそう思えますが、ずっと一つ一つのことをやるのにいっぱいいっぱいで必死でした。
ただ、何かやってみると少なからず経験値というものが増えていきます。
そこだけ切り抜いても分からないことでも、長期でみると大きく変わっていたりしているので前向きに捉えて目の前のことも頑張ります。

大人になって、どんな自分でいたいのか、どんな自分が心地いいのかということもすごく考えました。
自分らしくって何だろとも思ったし、人を見て羨むこともたくさんありました。
でも、私は自分以外の何者にもなれないということを受け入れて今の自分が自分だと、それで良いんだと思って生きています。

変わっていく部分、変わらない部分どちらもあって良いと思います。
自分の理想はあるけれど、必ずしもそうなっていないといけない訳ではないですし、自分で自分をがんじがらめにしないようにしたいです。

結構、自分で自分を苦しめてしまったり型にはめてしまったり自己暗示のパワーってすごいと思うんです。
苦しくなる方にエネルギーを使わず、きっとできる!とかもしダメでも上手くいかない方法を発見できる!とか人の気持ちは変わるものだし!今の気持ちはどうかな!?とか色々自分に言い聞かせています。

生きていることは本当に苦しいです。
生きてるだけで、嫌なことは起こるし見たくないものを見ないといけないし、自分がどうしてそこに立っているのか分からなくなることだってそりゃああります。

でも、昨日も今日も自分だし、明日も明後日もこの先もずっと自分と生きていないといけない。

その事実に心底うんざりすることもあるけれど、そうやって今まで一緒に乗り越えてきたし、これから先もずっと一緒の自分の誰よりの味方でいたいと私は思います。
誰にも見えなくたって、自分がみてて、大丈夫と言える心を持っていたいです。

さて、色々書きましたが、18歳から28歳の10年というのは長くて短くて不思議な期間だったように感じます。
世の中なんて何も分からない子どもだったのにいつの間にか大人になってて、大人になろうと思った訳じゃないのに自然とそうなっているのが人間って面白いなと思います。

夢見る少女だった私は、いろんな人に助けてもらいながらなんとか生きて、逞しく成長して意外にもちゃんと現実を見ている大人になっています。

まさか自分がイギリスまで行ってコンペに参加したり、20代のうちにアトリエを持てるなんて思ってなかったし、海外から商品を輸入販売してたくさんの方に使っていただいたりなんて想像もつきませんでした。

きっと18歳の私に今の私の状況を伝えても信じられないだろうなと思います。
昔の私はそういう夢を信じ続ける強さをまだ持ち合わせていませんでした。
自分にはできない、無理だ、夢はやっぱり夢なんだと思っていたときもありましたが、それは私にただただ自分を信じる強さがまだなかっただけでした。

色々社会に揉まれたり葛藤したり現実を知りながらもがきながらも希望は捨てずにいたことが私の一番の強みだったなと思います。
希望を捨てなかったら手を差し伸べてくれる人や、背中を押してくれる『かっこいい大人』に出会えました。
そういう強くて優しい大人を見て、私もそうなりたいと思って腐らないで生きてたらいつのまにか私もちょっとは心が強くなれました。

何も持っていなかった私は、10年間でそういう強さを身につけたんだと思います。
自分で自分を諦めない強さです。
誰に何を言われようが思われようが、自分が決めたからと信じて進めるようになってきました。
これが大人になるってことかなと思います。

もちろん迷うし不安にもなるし逃げたくもなるけど、自己責任で納得していればどうにか生きられるとも知りました。
私はまだまだ自分が素敵だなと思ったかっこいい大人にはなれていませんが、18歳の私に向かって胸を張って、あなたは大丈夫だから頑張れ!と言える大人にはなれたかなと思います。

これから10年先、どうなっているか分かりませんが私は自分が思い描くかっこいい大人になっていて、今の自分に胸を張ってそのまま頑張れと言える人間になっていたいです。

大変長くなってしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。
こんなに長い私の文章に目を通してくださる方がいるということがどんなに幸せなことか。

見守ってくださる方皆さまに、私のお菓子や作品、行動を通して感謝の気持ちをお伝えできるよう努めます。
今後とも、Sucreと吉田ななこをどうぞよろしくお願い致します。