お菓子日記

できないを受け入れて諦める人生もあると思えた29歳。

*この記事は2021年7月29日に書いたものです。

さて、毎年恒例となりました誕生日ブログです。
生まれてから29年経ったのですが、振り返ってみるとあっという間に歳ってとりますね。ビックリです。

10代半ばから20代中盤にかけて私はいつも何か頑張らないといけない、と思って生きていました。
30歳まであと一歩の歳となるとやっぱりあの頃は若かったと思ってしまいます。
人生の先輩たちからしたら何を分かったように、と感じるかもしれませんが若造の戯言と思って大目にみていただけたら幸いです。
若い世代の方に何を数年で偉そうにと思われてしまうかもしれませんが、人間数年でも変われるし歳を取るのも悪くないよと思っていただければうれしいです。

さて、頑張るという言葉は、よーし、やるぞ!っというようなニュアンスと、肩に力が入って気張ってしまうようなイメージがあるように思います。
私の青春時代と社会人前半の姿は後者の頑張るが当てはまっていて、とても苦しかったです。

誰に制限された訳でもなく、自分自身を抑え込んでこうしなきゃいけない、こうあるべきだと勝手に思い込んでいました。
前回のブログではこの現象を『ちゃんとしてる人間スーツを着る』と呼びました。
私は苦しいサイズの合わない似合わないスーツを一生懸命着こなそうと頑張っていました。
今思えばとてもいじらしくもあり、まぁそんな時期もあるよね〜と思う反面、必死で滑稽な姿でとても痛々しいなとも感じます。

私は自分のことを良く分かろうとしていなかったんです。
目の前にあるスーツを着ることに必死で、どんなスーツが似合っていて心地良いのか知ろうという考えも持ち合わせてはいませんでした。
それはなぜかと思い返すと自分の本当の気持ちに蓋をしていて、心と対話することを避けて考えることを放棄していたからです。

でも、それを克服するのはとても難しいことだと思います。
自分の気持ちを知るということは楽しい気持ちだけじゃくて、苦しい気持ち、恥ずかしい気持ち、消えたくなるような気持ち、そういうマイナスの自分も受け止めて、認めてあげる必要があります。

懐かしいアナ雪の曲、ありの〜ままの〜姿みせるのよ〜ありの〜ままの〜自分になるの〜って感じです。
エルサが自分の魔法の力を認めて、見事なお城を作り上げたのは本当にかっこいいシーンですよね。
グググ〜っと地面から氷を出すシーンと足をダンっとするところがとても好きです。

まぁ、短所は長所といいますか、弱い部分とか人に見せたくない部分とかそういうのって見方を変えれば武器にも鎧にもなります。

でもそこに行き着くまでに自分で考えるのってすごくしんどいんですよ。
信頼してる家族や友達、恋人に自分の気持ちを聞いてもらえて受け止めてくれて、ポンっとプラスの言葉をかけてもらえると安心しますよね。
それを自分でやるんです。

親しい人に話すときって、心の思うままに話しますよね。
どんなに見苦しかろうが絶対的な安心感があるから言えるんです。
何があってもこの人は私の味方っていう安心があるから素直に話せますよね。

自分でやるには、まずは自分が自分の誰よりの味方でいると自分に言ってあげます。
一番自分のことをよく見てて、自分のことを知ってる人は自分です。その一番の相棒が味方だよ、と言うんです。だから大丈夫なんです。

これが自信を持つということなのかなと私は思っています。
自分を信じるパワーはここぞというとき、ものすごい力を発揮します。
私はなぜか昔から根拠のない自信があって、だいたいどんなときも自分ができると思ったことはできました。
逆に、これは私にはできないなということも分かる部分があって、そういうのは潔く諦めて頑張らないことにしています。
エネルギー消費の方向を自分で選ぶように生きてからとてもラクになりました。

そのように私は絶対にめげないで続けていることと、アッサリ諦めて損切りすることがあります。
これができるようになったのは、ある程度年齢を重ねたからだと思っていますし、若い頃に泥臭くボロボロになりながら痛々しく恥ずかしい経験をしたからです。

なるべく後悔が少なくなるよう生きていますが、それでも後悔はします。
ただその後悔を無駄にしないで後悔したからこうなった、と言えるように考えることでなんとか保っていました。
人間、考え方一つで救われる部分があるのでいい生き物だなと思います。

できないことは無理しない、頑張らないという人生もあります。
その代わりできることを夢中になってやっていると、やらないといけないことはなんとかやれたりするんです。

私はとても内向的な人間であるにもかかわらず、人間と関わらずにはいられない性分です。
昔から私は人間が嫌いだと思っていたこともありましたが、それは人間が大好きで仕方なくて上手くいかなかったときに苦しくて悲しいから嫌いと拒絶することで身を守っていたんだと思います。

私も大人になり多少の角が削れてきて、だいぶ柔らかくなったなと思います。
今でも心にナイフを持っていてそれを突き刺したくなるときもありますが、自分の手を汚すのがもったいないないなと思うようにしてその場は聞き流したり言葉を飲み込めるようになってきました。

もちろん嫌な気持ちになることはありますが、目の前の苦手だなぁと思うような瞬間のせいで自分の口から出る言葉にあとから苦しめられるのも嫌だなと思います。
それでもたまに我慢ならないときは、お姉ちゃんやとても親しい友達に聞いてもらっています…。笑

とにかく、自分が苦しくなるものには近寄らない、頑張らない、追われたら逃げる、立ち向かわない、戦わない、本当にそうやって回避することって大切だなと思っています。

私は精神的にとても刺激に弱く、言葉や空気に敏感です。
これは昔からでどうやっても治らないので、そういう自分を受け入れて仕方ないな、そういうものだと諦めています。
強くなることを諦めてから生きることがとってもラクになりました。
あぁ、息を吸えるってこういうことかぁ、みたいな。

とにかくちゃんとしてる人間スーツを脱ぎ捨て、何もできない自分を許して、どうやっても無理なことは諦めて頑張らない生き方をしています。

そうやっていたら、本当は自分がどうしたいのか、どうすればいいのか分かってきました。
いやぁ、長かった。本当にしんどかった。
物事の捉え方で気持ちが変わるのは分かっていたのですが実行できるかは別でした。

正直、子どもの頃から根本的な部分は何も変わっていないと思うのですが、やっぱり過ごした月日がいくらか私を大人にしていったようです。

いくら頭で考えていようとも、流れる時間は早送りもできないし巻き戻しもできないし、一時停止もできません。
そこまま受け入れて過ごすしかないんですねぇ。
しかし、その時間があったからこその現在だと思って前向きに今後もやっていけたら良いなと思っています。

生きているといろいろありますが、少しずつどうやって自分が心地よく過ごせるのかを見つけていくのが人生なのでしょうか。

その時々によってそりゃあベストは違ってきますし、その都度軌道修正しながら回り道をたくさんしてそして過ごした時間を愛でて歳を重ねていきたいです。

そうやって、私の人生なかなか良いじゃない、と肯定して生きようと思います。

また長々と書きましたが、お読みいただきありがとうございました。
いつも見守ってくださりとてもありがたいです。

Sucre 吉田ななこ