ななこの話

私がどうしてお菓子の道へ進んだかの話




こんにちは!
アイシングクッキー・シュガークラフト工房Sucre(シュクル)の吉田ななこです。
今日は、私の自己紹介をします!
簡単なプロフィールはaboutに記載致しましたが、どのような思いで現在の活動に至ったかなどをお話させて頂きます。
まずは、どうしてお菓子の道に進んだのかについて書きました。
1992年7月29日 宮城県仙台市生まれです。
家の目の前が広瀬川で、自然に囲まれて育ちました。
家族構成は父、母、3つ上の姉の4人家族で、みんな美味しい食べ物が大好きな家庭です!
そのおかげで私は食べてばっかり!笑
料理上手の母がよくチーズケーキやヴィクトリアスポンジケーキなどを焼いてくれていたこと、クリスマスなどのイベントで自由にケーキのデコレーションをさせてくれました。
その影響で、私もお菓子を作るようになりました。
お母さんがケーキを作ってる横で私とお姉ちゃんが生生地を食べようとしたり、ホイッパーに付いたクリームを食べたりしながらも笑笑
お菓子作りを横で見ていて楽しかったのです。
母のおかげで、自宅にはお菓子作りの本や道具がひと通り揃っていたので取り組み易い環境でした。

小学校中学年くらいには一人でクッキーを焼いていたかと思います。
お菓子を作ると、いつも美味しい!!!と喜んで食べてくれる家族がいました。
笑顔を見るとこちらもうれしくて、また作ろう!楽しい!!と、色々作ってみるようになりました。
当時はスマートホンもパソコンも全然身近なものではなかったので、本屋さんのお菓子の本コーナーで、こんなお菓子があるんだ!!すごい美味しそうだな!!と心踊らせながら居座っていました。
中学年くらいになると、一人で行動もできるようになり、貯めていたお年玉やお小遣いでお菓子の本を買い、高いと思いつつクルミやココア、製菓用チョコレートを買いお菓子の幅が広がりました笑
この時はまだクックパッドはまだ普及していなかったと思います。
ただ、インターネットで検索できる時代になっていたので、明治さんとかロッテさんの板チョコレシピを大活用していた記憶があります。(私はチョコレートが大好きです)
美味しいものが大好きでズボラ私は、簡単でおいしいレシピを見つけて作っていたような気がします笑
小学生頃からバレンタインには友チョコ文化が発展しており、バレンタインはみんなとチョコを交換してボリボリ食べていました。
その頃から、友達にもお菓子を食べてもらえる機会ができ、おいしいー!!!と喜んでもらえることが嬉しかったのです。
この時には将来の夢は?と言われたらパティシエになりたいと話していました。
中学3年生での進路相談では、母からの助言もありお菓子も作りたいけどこれからやりたい事もできるかもしれないし、選択肢を増やすためにも普通科に進学することを決めました。
あと、姉が通っていた高校がとても楽しそうだったことと購買にアイスがあること、周りに遊ぶところが多く割と近いという理由で高校を決めました。
この時、南高にして本当に良かったなと心の底から思っております。
高校に入ってからもお菓子りは好きで、友達や家族、たまに部活のみんなに作って喜んでもらえることが嬉しかったです。
パティシエになりたいな〜と思いながらも、低賃金・重労働・離職率などを現実的に考えるとうーーーん、どうするかぁ。と悩みました。
私の高校の成績はお世辞にも良いとは言えずむしろ散々なもので数学の補習の常連でした(他の教科も散々です)
しかし、入った高校が一応進学校だったので学年集会では体育館で巨大なスクリーンに大卒と高卒の生涯年収のグラフなんかが映されるような学校でした。
そのため、とりあえず大学には行くのかなと思っていました。
じゃあ、学部とかどうするの?
何やるの?って事でパティシエ以外の職業も考えました。
中学の保健室の先生が大好きだったから、養護教諭とか、家庭科好きだし家庭科の先生もいいなぁ〜と思いました。
あと、私は小さい頃からお菓子の裏の成分表示を見ることが大好きだったのです。(カントリーマアムに白あんと表示されていたことは衝撃だった)
あ、こういうコンビニとかスーパーで買えるお菓子作るのも楽しそうだなぁ、食品メーカーで働いたら面白そう!と思ました。
そこで、とりあえずそういう勉強する大学探そう。とやっと動きだしたのです。
私の高校は1年生で文理を決めて進級します。
そのため、受験科目の関係で理系にしないと困るのでは…と、大の苦手であるにも関わらず理系に進むことにしたのです。(辛かった)
2年生になり、夏休みに必ずオープンキャンパスに行く決まりがあり、とりあえず食に関する勉強ができる東北内の大学に行ってきました。
友達と喋ったことやプリクラを撮った記憶しかないので、あんまり印象に残ってないです。
どうにかお菓子を勉強出来ないか、と考えていました。
私のやってみたい色とりどりのケーキ、何層にもなった繊細なケーキ、大好きなお菓子に囲まれた環境にどうしても未練があったのです。
そう思って、専門学校を視野に入れることにしました。
専門学校と言う選択肢は、正直なところ現実的に働くことを考えたら悩むなあ、と思っていました。
しかし、カリキュラムや授業風景の載ったパンフレットを見て、わぁ!!!こんな世界があるんだ!!と心踊らせた私がいました。
そして、一番気になるのは卒業後の進路です。
有名パティスリーや街のケーキ屋さん、レストランやブライダルの中にぽつん食品メーカーの名前があったのです。
あれ!?お菓子を目一杯勉強して食品メーカーで働く道もあるんだ!!
その頃、食品メーカーへの就職は学校で1人いるかいないかです。
それは自分次第だから絶対行く!と意気込み、成績も芳しくない私が食品メーカーに就職する道が1つ拓けたのです。
この時の勢いと割と安易な選択が、後々に自分との戦いとなり苦しみました(大学に行けば良かった病にかかった)
現在、この選択は自分にとって最善だったと思えます。
たくさん悩みましたが、コンプレックスならいつだって勉強して取り戻せる!とお母さんが言ってくれた言葉で気にならなくなりました。
高校の話に戻ります。
よし、それじゃあ専門学校に行こう!と決めたので私が理系でいる必要がなくなったのです。
高2の冬、先生!文転したいです!!
と言ったらもう間に合わないとのことで、泣く泣くもう1年苦痛の理系科目の授業とお付き合いすることになりました。
そして、高校3年生の夏、どの専門学校に進学するのか考えました。
私の進学の目的は、洋菓子を幅広く学びたくさん実技をこなして食品メーカーに就職する、という事でした。
そのために、洋菓子の分野を専門的に学べ80%が実習で就職先に食品メーカーの実績がある学校を選びました。
オープンキャンパスに行ったら、やっぱりお菓子に囲まれた生活をしたい!
と思って入学が楽しみになりました。
大学受験のような勉強が必要なかったので、残りの高校生活はアルバイトをしながらお金を貯めていました。
3年生の担任の先生が、私の進路先を知った上で今のうちにたくさん本読むといいよ助言をくれました。
受験のためみんなが勉強頑張ってる中どうしようと思っていたので、本をたくさん読む事にしました。

受験真っ只中の冬に、勉強頑張ってね!と友達にあげたクッキーも喜んでもらえて良かったです。
人を元気にしたい!笑顔にしたい!と思ったときに私は『お菓子作って渡そう』という思考だったのです。
小さい頃からお菓子が大好きだった私は、お菓子を作るようになって、周りの人が笑顔になってくれる体験をたくさんしてきました。
お菓子には人を幸せにする力があると信じています。
お菓子作りは楽しい!だけど、それ以上に誰かに喜んでもらうことが好きなんだなぁと思います。
人を笑顔にするために、私が出会ったのがお菓子でした。
高校の勉強はできなかったけど、お菓子の勉強はたくさんしました。
こうして私の本格的なお菓子人生が始まったのでした。
専門学校でのこと、社会人になってからのことはまた今度書こうと思います。
この記事を読んで、私がどうしてお菓子の道を選んだのか知って頂ければ幸いです。
お読み頂きありがとうございました!